小泉信三の結婚
例年、慶應義塾横浜初等部の願書には
創設者の福澤諭吉の著作『福翁自伝』を読んで、
所感を記す指示がありました。
しかし、これまでとは異なり、
2020年度の横浜初等部の入試では次のように変更されました。
「『伝記 小泉信三』を読んで、
慶應義塾の塾風・気風(空気感)について感じるところを書いてください。」
そこで、この「『伝記 小泉信三』を読みとくブログ」では、
これからこの本を手にされる方のために、
どんな箇所を気にとめながら読んでいけば良いのか、
詳しく解説します。
今回は小泉信三の結婚の話です。
四 結婚と家族
1916年(大正5)、信三はヨーロッパから帰国すると、慶應大学の教授に就任しました。
そして、この年、信三は結婚しています。
結婚相手は、親友の小説家・水上瀧太郎の妹、とみでした。
水上は信三の小学校からの同級生です。
岩波文庫で読める水上瀧太郎の著作
ヨーロッパ留学も一緒の仲です。
その留学中のこと、瀧太郎は、下宿先のお婆さんや娘さんに見せる信三の礼儀正しく紳士的な態度を見て、信三に大事な妹の夫になってほしいと真剣に考えるようになります。
そうして、信三に妹を花嫁候補にしきりに推薦するのでした。
信三も瀧太郎の猛烈なプッシュに、すっかりその気になり、留学先のパリで意を決して、婚約指輪を買い帰国するのでした。
その後、めでたく二人は結ばれることになり、夫妻は新居を鎌倉に構えます。
その一年後、夫妻は子宝を授かります。
生まれた子は男の子で、信吉と名づけられました。
しかし、そんな矢先、信三は感染症の結核にかかってしまいます。
幸い自宅療養で済む病状でしたが、続けてこんどは、生まれたばかりの生後4か月の赤ちゃんが胃腸を悪くしてしまいます。
赤ちゃんは入院することになり、信三は自宅で赤ちゃんを送り出す際、そのやせ細った顔を見て「この子は、もう鎌倉に返ってこないかもしれない」と感じたそうです。
入院当初、お医者さんからも回復する見込みがないと告げられるほどの容態だったのですが、とみの必死の看病で3か月後、無事に退院することができたのでした。
一方の信三の結核もよくなり、子どもともども、助かった命の有り難さを感じずにはいられなかったそうです。
信三は、とみのおかげで元の生活に戻れたことを、これ以後感謝の気持ちを持って過ごすようになったといいます。
まとめ
信三に妻と息子という2人の家族ができたとき、それと同時に試練が訪れました。
しかし、この困難を乗り越え、信三は家族の存在のかけがえのなさに気づきます。
信三は妻への感謝を終生忘れることはなかったでしょう。
苦楽を共にすると言いますが、こうして家族になっていき、人を慈しむ心を持つ小泉信三という人物になったのでしょう。
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