筆者が伝えたい小泉信三像とは?
例年、慶應義塾横浜初等部の願書には創設者の福澤諭吉の著作『福翁自伝』を読んで、所感を記す指示がありました。
しかし、これまでとは異なり、2020年度の横浜初等部の入試では次のように変更されました。
「『伝記 小泉信三』を読んで、慶應義塾の塾風・気風(空気感)について感じるところを書いてください。」
そこで、こちらの「『伝記 小泉信三』を読みとくブログ」では、これから、この本を手にされる方のために、どんな箇所を気にとめながら読めば良いのか詳しく解説していきます。
「はじめに」の前半
日本という国の先生
さて本文の「はじめに」からさっそく見ていきましょう。
まず次の一文を本文から抜粋しました。
とある学校の「先生」だったというだけでなく、この時代の日本という国の「先生」でもありました。
この一文には筆者がこの本を通して伝えたい「小泉信三像」が特に表われています。
小泉信三は慶應義塾の関係者だけにとっての先生なのではなく、広く一般の人にとっても偉大な先生だと筆者はこの本で伝えたいわけです。
また、「日本という国の先生」という言葉に含まれる意味ですが、天皇陛下の教育係を務めたという意味だけではありません。
戦後、いち早く一般大衆に向けて小泉が著した『共産主義批判の常識』『読書論』などの著書はベストセラーになりました。
戦後の混乱期、新しい世の中で新しい知識を求めようとする国民に対して、書籍を通して小泉はまさに時代をリードしていったのでした。
このように小泉は見識のある知識人、文化人として戦後の秩序を作る役割を果たしたのです。
この本の著者はこの小泉の姿勢をとても重視しているわけです。
江戸時代から明治となり、世が文明開化と呼ばれていた頃、
福澤諭吉は「学問のすすめ」を記し、明治時代の大ベストセラーになりました。
このように近代日本が始まった際、福澤その人が行った役割を、戦後日本において小泉信三が務めたわけです。
近代における福澤の役割を現代日本では小泉信三が行ったと考えれば、その存在の偉大さがおわかりいただけるでしょう。
この福澤にならう小泉の姿勢にこそ「慶應の気風」を感じます。
「はじめに」の後半
戦時下の教育者としての苦難
「はじめに」の後半では著者神吉氏のこの本に対する思いがさらに次のように語られています。
はるか昔の話としてではなく、曾祖父母の時代の出来事として忘れられないように伝えていきたい
このような意思のもと本書は書かれています。
小泉が活躍した時期はまさに激動の昭和期と重なります。
この本では、太平洋戦争前後の小泉の様子を特に詳しく描いています。
この時期に小泉が慶應義塾の塾長だったことが最たる理由なのですが、戦時下にあって、どのようにその重責を果たしたのかを描くことで、教育者として有事にいかにあるべきかという指針を伝えるためでしょう。
また戦地へ息子を送り出す一人の父親としても描くことで、この戦争が小泉にとって、いかに苦難の体験だったかということが語られていることも見逃せません。
まとめ
今回は『伝記 小泉信三』の「はじめに」を読み、この本の著者の視点を読みときました。
小泉信三の一つ一つのエピソードは、それで本が一冊書けるような内容です。
この本でエピソードとして出てくる話には実際に本になっているものもあります。
次回からはそんな小泉信三のエピソードを追いつつ、慶應の気風とは何かを読みといていきましょう。
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