小泉信三はどんな子育てをしていたのか?
例年、慶應義塾横浜初等部の願書には創設者の福澤諭吉の著作『福翁自伝』を読んで、所感を記す指示がありました。
しかし、これまでとは異なり、2020年度の横浜初等部の入試では次のように変更されました。
「『伝記 小泉信三』を読んで、慶應義塾の塾風・気風(空気感)について感じるところを書いてください。」
この伝記は簡潔にまとめられていて、教育者・小泉信三の人生を知るのにはとても良いです。
ただ、小泉信三が、わが子の幼い時、どんな子育てをしていたのかは、わずかに書かれているだけです。
子育て世代としては、気になるのが小泉信三自身、家庭でどのような子育てを行っていたのか…ではないでしょうか。
そこで調べてみると、こんな一冊がありました。
こちらは小泉信三の次女、小泉妙さんの著作です。
この本は『伝記 小泉信三』の著者・神吉創二氏が編集に携わり、慶應義塾大学出版会から出版されています。
この本の中から次女・妙さんが語る小泉信三の子育てエピソードを今回はご紹介しましょう。
困ったお父さん?
偉大な教育者・小泉信三を知ってから読むと意外なのですが、子どもたちをからかうのが好きなお父さんだったようです。
例えば、妙さんが生まれた時のことを「猫が鳴いたかと思った」と妙さん本人には語っていたそうです。
妙さんはこう言われるのが大変嫌だったそうです。
また、ある時、信三は妙さんのことを「橋の下からひろってきたんだ」と言ったそうです。
妙さんが「どうしてひろってきたのに、生まれた時の声を知っているの」と聞いたら、それからは、つまらなくなったらしくもう言わなくなったそうです。
このように、大人になっても、いたずら心のある人物だったようです。
子どもたちと遊ぶのにも信三自身が面白くなくては、だめなのだそうです。
急に子どもを抱き上げたかと思うと、たんすの上に乗せて
「そこから飛び降りろ、絶対抱きとめるから大丈夫」と言って怖がらせもしました。
また、よく、不意に後ろからやって来て、大きな両手で子どもたちの耳のあたりをはさんだまま、持ち上げたのだそうです。
妙さんは振り返り、首が抜けそうになり、目はつり上がり、まばたきをすると痛かったそうです。
これを信三は今の天皇陛下にも幼い頃にしています。
そうしたところ、「もうこれからはやらなくていいのよ」と幼い陛下はおっしゃったそうです。
このことを信三は大いに恥じたという話です。
信三は身体がよく利くとか、球を投げるのが上手とか、子どもはそういうのが良いと思っている人だったそうです。
たとえば、妙さんを曲芸のように肩に跳びあがらせもしたそうです。
また、自転車の乗り方も教えてくれたそうです。
自転車の荷台に木の棒を差し込んで、ぐいぐい押しながら走らせてくれたのだそうです。
こうすると速く長く走れるので、おかげで補助輪なしでかなり早くから妙さんは自転車に乗れたそうです。
このように、小泉信三は結構、気ままな子育てをしていたようです。
「伝記 小泉信三」にも書いてありましたが、信三自身は小学生にあがった年に父を若くして亡くしています。
それだからでしょうか。
子どもとの接し方が、いわゆる厳格な父親と子どもの関係というよりは自分も子どもの輪に入ってみんなで楽しもうという気持ちの強い人だったようです。
そんな信三の子育て方針には、運動を重視するところがありましたが、その思いは慶應義塾横浜初等部にも息づいているように思います。
小泉信三の子育てをわれわれの子育てに生かすとしたら、お子さんとのスキンシップを大切にすること、一緒に身体を動かすこと、子どもと一緒に楽しむことができる父親でありたいですね。
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